社長ブログ
株式会社アイネット
みなさん、こんにちは!
今日は脳が作り出す疲労感があるということについて書きたいと思います。父が昨年から数えて六度目の入院中で、加えて母が腰の骨を骨折するというピンチに見舞われたわたくしですが、連休前ぐらいから異様な疲労感があり、寝ても疲労が抜けない状況が続いていました。寝れば疲労から回復できると思っていたので、こんなに疲れるのは年齢のせいだと思っていたのですが、どうやらこれは脳の疲労なのではと気づいたのです。
つまり、どんなに体を休めてもいたわっても、「嫌だなあ」「大変だなあ」「面倒だなあ」「どうすればいいのか分からないや」と思うだけで一気に疲労が溜まってしまっているようです。
よく「疲労の原因は脳」というようなタイトルの本を見かけていましたが、こういうことなんだなと実感しています。
単純に困ったことが起こったりしているとだけでなく、私の場合、タスクの抱え過ぎによる脳のスイッチングコストの高まりや、「今度の休日はこれをしよう」と決めていたことが実家に呼び出されて結局かなわなかったりすることが何度も発生することによる学習性無力症みたいなことが続くと、どんどん脳がそれらを「疲労」と感じていくようなのです。
それに気づいてからは、脳が疲労と認識しそうな状況を避けるように、タスクを入れ過ぎないようにしたり、実家にも無理な時は断りを入れたり、単純に目と閉じて外の音に耳を傾ける時間を作ったりして、「脳疲労」を減らす努力をしています。
現実的には状況は変えられないのでそんなに簡単には元気になりませんが、久しぶりにiPadで絵を描いてブログに載せるぐらいの元気は出てきました。
というわけで、身体を動かさない仕事をしている人ほど、脳が疲れる生活に陥っているかもしれませんので、デスクワークが多い皆様もお気を付けを!
みなさん、こんにちは。
今週のブログは何を書こうかなあと考えていて、日産リーフに乗り始めてだいたい一ヶ月ぐらい経ったので、いろいろと電気自動車のことや安全装備のことなどについて分かってきたことも溜まってきたし、夫が昨年発売のスバルのフォレスターに乗っているのでスバルのアイサイトとの比較について、実感したことを書くのが良いかなと思ったのですが、車の記事って興味ある人以外は面白くなくないですか?どうですか?(笑)
などと思っていたのですが、コチラの記事がすごく面白かったので、今日はそちらについて書きますね。
「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイト、以前はよく読んでいたのですが、この一年ぐらい忙しくてネットで色んな記事を読むことも減っていて、久しぶりに覗いたら
という記事の連載が、ちょっと前にあったみたいで一気読みしました。
「生きる」がテーマということや、解剖学や脳の専門家であるお二人の対談ということで、生物学的な話が多いかなと思っていたのですが、意外にも熱力学などの物理の話が多くて、物理の読み物などで時間の概念について知るのがすごく好きな私としてはものすごく興奮して読みました。
いろんな観点から生きるというテーマについて語られているのですが、特に以下の内容から二つほど思うところがあったのでここにメモしておきます。
「人は『世界の秩序を増やすことができる』とどこかで思い込んでいるけれど、実は秩序は増やせない。掃除機でゴミを集めて秩序を生み出しても、そのゴミはどこかで燃やされて塵となってまた拡散していく、というように、秩序を生み出してもまた無秩序に戻っていく」
「時間という概念は人間作りだしたもの。時間が前に進むか後ろに進むかも、実は分からない。時間が後ろに向いていても成り立つように物理学の式は書かれているものが多い。時間という概念がない人間以外の動物は時間を気にしない。昨日とか明日という区別は人間だけが付けている」
こういうことをいろんなエピソードを交えながら研究者の言葉で説明してもらうとものすごく面白いのですが、私が思ったこと。
1、そもそも、時間というものを考えつき、そこに時計などで目盛りを刻み、経営で言えば一年を「期」という単位で区切っていくということは、本来の人間の脳としては不自然なことである。だから、一時的にそこに秩序(ルール)を持ち込んだほうが脳の中で経済活動を把握し易くなる。よって、秩序を持って情報を整理していくほど、経営や現場の運用はやり易くなる。が、本来の脳の在り様としては不自然なことであり、生物の本来の性質的なものとの摩擦は必ずあるので、そこを忘れないようにしながら秩序と無秩序のバランスを取っていくのが大事。あと、人間の脳はそもそもスケジュールに合わせていくというのは不自然で苦手なことであるならばどんどん補助ツールを遣うべき。
2、今、認知症に関する本を読んでいるのだが、認知症になると時間の概念がなくなっていく。一日三度の食事、箸やスプーンを使っての食事、といういつの間にか「人として当たり前」と思っていることができなくなるケースも多い。だが、そもそも、一日三度、というのも勝手に現代の人が決めたルールである。食事ひとつ取っても、だんだん人らしくできなくなっていく場合、周囲の人が「あんなにちゃんとしていた人が人間性を失っていく」とショックを受け、認知症を発症した人に怒ったりするが、本来は「一日三度」というような秩序など持たぬ世界で生きている生き物が大半なので、認知症になって行動が変わったように見えるのは素の生き物に戻っていっているだけで、それは「間違い」ではないと思えば認知症の人に接するうえでの気持ちもまた変わるのではないか。もっと言えば、「苦手な人」というのも多くはその人の秩序と自分の秩序が異なっているために感じ易いことだということを分かっておくこと。
などと、今回の記事を読みながら思いついたりしました。
この手の脳のしくみとか、ーっといろんなことを考えているのが好きなので、とりとめないことをたまにこのブログにも書くかもしれません。学生の頃は物理が苦手だったのですが、こういう切り口で教えてもらえてたらもっと好きになっていたのにと思います。
今日はこんな感じです。
みなさん、こんにちは。
ちょっと間が空いてしまいました。プライベートが慌ただしく、てんてこ舞いをしておりました。
さて、今日は「甲種防火管理講習」を受けてきたことを書きます。自社のビルの防災を適切に行うための資格です。2日間の座学、わりと大変でした。でも、ちょっとした知識と正しい行動で救えた命が失われた過去の事故などをいくつか見ていくうちに、この手の知識は毎年でも講習を受けるべきではないかとひしひしと感じました。
まずは基本的な燃焼の知識から。火が点く原因はいくつかあります。それによって消化の方法も変わってきます。また、火災のときの心理の勉強もしました。たとえば、火災が発生すると群集心理で以下のような状況になります。
・身を守るために日ごろ使い慣れた経路を利用しようとする(避難用通路を使わない)
・帰巣性といって、元来た場所に戻る傾向
・向光性といって、明るいほうに向かっていく
・危険回避性として、火から逃げるために高いところから飛び降りてしまう
・追従性といって、人が行く方向にやみくもについて行く
・その他、パニックで動けなくなるなど
この中のいくつかは訓練によって絶対に防げる行動ですね。
こういう基本的なことから、施設や設備の使い方の説明、訓練計画の作り方など学びました。また、危険物や地震についても学びました。
さすがに現場で消防士をされていたような方の講義では学ぶことが多かったのですが、印象に残ったのは、「できないのを知るのが訓練」ということです。できないことを知ってはステップアップをしていく。それこそが、訓練の「成熟」というものだ、と講師の方は何度も仰っていました。
これって、我々の仕事にも通ずるところがありますよね。セキュリティ事故が起きたらどういう行動をとるべきかをゲーム性を持たせて学べるインシデント対応ゲームなど、弊社でも毎年のセキュリティ研修でいろいろな試みをしています。
正直しんどい2日でしたが、安全知識が身に付くのって、いざという時に何かできることが増えるので自信になりますね。安全な環境で社員の人に働いてもらうために、更に精進します。
みなさん、こんにちは!
今日は「今年は勇気を出して立ち止まろう」という気持ちで過ごしていることについて書きます。昨年までは、趣味で電子工作をしたり、同人誌をサークルで一緒に作って売ったり、あるいは試験を受けに行ったりしていたのですが、今年は敢えてそれらを惰性で続けずにひとつひとつ手に取って棚卸しをしています。きっかけは、時々ここにも書いているように、父の病気療養のサポートの時間が長くなって休日に時間が取れなくなってきたことにあります。休日に何かを予定していても、結局、実家に行くことになり何もできないストレスだけが溜まっていく状態でした。
それで、敢えて今年は「趣味と思っていても結果的にストレス要因になってしまうことを取り除いていこう」と考え、一旦、多くのことの手を止めて、時間の遣い方、お金の遣い方について再構築しているところです。
以下、やっていることです。
1、優先度の低いことはアウトソーシングをする
たとえば私の場合、本業の経営のほかに、社屋ビルの管理をしていました。ビルに関わる修繕の発注や、修繕作業の立ち合い、集金、トラブル対応(ガス、水道などの異常)など、一つ一つはたびたび発生することでなくても、そのたびにストレスが溜まって行きます。これは管理会社を入れることにしました。自分でも今までなぜ早くそうしなかったのかと反省しきりです。私の一番大事な仕事はアイネットという会社の経営の舵取りであり、それ以外のことで疲弊している場合ではなかったと今更ながら実感しています。
2、映画や読書などの娯楽を義務化しない
私は映画サークルに入っているのですが、このサークルでは月に3本の課題を決めて、次の月に集って感想を語り合うんです。これ、年間80本とか100本観ている人(実際にいるんですよ)にしたら息をするようにできることですが、私がそんな風に観ようとすると思うとかなり時間を使います。あまり無理をしてきっちり3本観ようとするとスケジュールのやりくりがきつくなってしまいます。同様に、読書も、本来は娯楽の筈なのに話題の本を買い過ぎて積読本が溜まったりすると負担を感じてしまいます。自分が「映画好き」「読書好き」であるという属性を守りたいと思い過ぎず、読みたいものがあれば読む。早く読みたいとわくわくするようなものだけ読む、というのに気を付けています。
3、初学者向けの本や図解本を敬遠しない
「はじめての」などと銘打ったイラストが多様されているテキストなどで勉強するのを敬遠していたのですが、内容の複雑度が上がると一回読んだだけでは理解できないまま放置してしまうので、気楽に読める程度のものを何度も、あるいは何種類もパラパラと呼んだ方が圧倒的に良い気がします。たとえば、弊社では統計検定受験を推奨して会社で取り組んでいますが、いきなり受験向けのテキストに取り組むよりは、Newtonなどの特集を何度も読み返すほうが、なぜ統計や確率を学んだ方が良いのか、どういうシーンで使えば良いのかなどがしっかり理解できます。今は、急いで検定本など読まずに、原点に戻って学び直しています。
4、家にいる時間をできるだけ長くとる
これはかなり難しくて、かなり重要です。皆さん、週末のイベント参加で疲弊していませんか?技術者が集うイベントは刺激的だし、コミュニティの絆は深まるし、なんというか「遊びと仕事が一体化してる」って感じがして、家族持ちの人も理由にし易いですよね。でも、生活のQOLを一定以上保つには、家にいる時間をしっかりと確保しないと難しいと痛感しています。家が片付かない、家の掃除ができていない、家事が苦手、ということの最大の理由は「家にいる時間が少ないから」だと思っています。基本的に、家を一定レベルでちゃんと保つには「週末にまとめて掃除や洗濯をする」ではなく、できるだけ一日単位のルーチンである程度のことが回せていないと無理です。
また、イベントでアウトプットするのは自分の成長において効果的ですが、私は最低でも一つのイベントでのどんなにささやかな内容のアウトプットでも準備に三ヶ月は必要だなと感じています。なのであまり頻繁にアウトプットをすると一回一回のクオリティが確実に下がります。
あと、ついついいろんなものに手を出してしまう自分に忠告をしてくれる人を身近に持つのも大事ですね!
というわけで、コミュニティのみなさん。また戻ってきたら仲間に入れてください。
当面は、6月開催のオープンセミナー岡山2019での登壇に力を注ぎます。
みなさん、こんにちは!
年度が新しくなって慌ただしくしています。
近況ですが、筆ペン三段に合格しました。
賞状を受け取った日、隣の席の小学生の子は六段にチャレンジしているとのこと。また、前の席に座っていた小学校低学年らしい子は初段に落ちて先生から励ましてもらっていました。
大人も習っていますが、春先はとくに小学生が習い始めることも多く、そんな中でコツコツ練習しています。
さて、最近は父が病気療養中のため、リモートワークの方向を探っています。少し前に悩んでいて、自宅を引き払ってもらって介護付の施設を探すしかないだろうかと思い詰めていたのですが、ふと、「従業員の人に今後リモートワークをする環境を整えていこうと思っているならば、私自身もモデルケースになるべきでは」と思い至りました。
そんな中で私が一番恵まれていると思うのは、社内で私の父のサポートの状況を共有できることです。まだ本格的な介護ではないですが、日々いくつもの問題が発生します。それを会社で聞いてもらうことができるだけでもかなり気持ちが楽になります。
私自身は、以前部下の人のご家族が療養していた時にはせいぜい「時間単位で有給休暇を使えるようにしよう」ぐらいだったのですが、今の私ならもっとたくさんの会社のサポートが必要だったなと思えます。
まだまだ模索中ですが、これからはもっと多様な働き方に対応できなければ会社の死活問題だと思います。また何かご報告をしたいと考えています。