社長ブログ
株式会社アイネット
今日は夢の中ですごい面白いと思って寝ぼけてメモったネタを漫画にしました。
背筋ピーン猫「このまま一生ネコの体に閉じ込められて生きていくのか」
液体猫「お前、もともとネコだろ。ぐにゃぐにゃして人生楽しめよ」
みなさん、こんにちは!
暑いですが、秋の声もちらほら聞こえてきますね。
さて昨日、夫とスポーツにおいて本気で上達したい人と楽しむ人との違いについて会話していたところ、「最近はクライミング界隈ではエンクラっていう言葉が流行ってるんだよね」と言ってました。ちなみに夫はロッククライミングが趣味であり、かつコミュニティ関連のお世話もしている立場です。
「エンクラ」って言葉の意味、分かりますか?
私は分かりませんでしたが、訊くと「エンジョイ・クライミング」の略だそうです。ロッククライミングでは、外岩を登るルートや人口壁を登るボルダリングなどがあり、それぞれ難易度があり、自分のレベルによる課題をクリアしたり、自分がまだ登ったことのない岩場を攻略したりと、自分に課題を課して挑むことが多いですが、そういうのではなくて純粋に登ることを楽しむ日を作るときには「今日はエンクラする」と言ったりするそうです。
確かに海外の映画などを観ていると日常でカジュアルにボルダリングなどを楽しんだりするシーンが出てくるなというイメージですが、日本人は楽しむためより上達するためのスポーツをやりがちという気がします。
私自身はゴルフはやらないのですが、団体でゴルフコンペをするお手伝いをするとき感じるのも「遊びゴルフをやる人、本気ゴルフをやる人」という参加者のスタンスの違いでしょうか。
つまり、スポーツはとくにもっと行為そのものを楽しんでいいのではないのかな。何事も成長実感を欲しがり過ぎる私としては「楽しむ姿勢」がぜんぜん足りてないなと反省。
プログラミングも、エンジョイ・プログラミングをやったらいいと思います。誰か気の合う人と一緒にペア・プログラミングで趣味のエンジニアリングを楽しむってのもありでしょう。
今朝、NHK『あさイチ』という番組で集中力についての特集が組まれていていました。とくに新型コロナウィルスのストレスで集中力が低下している人も多いそう。前半しか見ることができませんでしたがいくつかメモしたので自分の備忘のためにここにメモしておきます。
脳のワーキングメモリの使い方ですが、人のワーキングメモリは人それぞれで容量が違っていて、サイズに限りがあります。昨今は新型コロナウィルスのことがワーキングメモリのかなりの部分を占めているため、日常のことで集中するのが難しくなっているとのこと。
【ワーキングメモリを整理する方法】
・作業に入る前に一度目を閉じて3分ほどリラックスする
・目から入る情報を遮断すると脳が情報の整理を始めるから
・実際は3分間リラックスするのは難しくて訓練が要る
・とくに吐く息に集中
今朝、出社してさっそくやってみましたが、3分は思ったより長くて、「もう3分経ったかな」と思って見たらまだ2分くらいしか経っていませんでした。
【やることリスト作り方のポイント】
・リストは一つにまとめる
・あちこちにやることリストを分散させると、それぞれのリストがどこにあるか思い出すのにワーキングメモリを使ってしまう
・やることは重要度の順ではなく時間にそって並べる
・やることは具体的に書く
・仕事とプライベートを分けない(判断でワーキングメモリを使ってしまう)
以上、詳しくは番組関連ホームページなどご参照ください。
個人的に最近は集中力がちょっと増したなと思っていますが、有酸素運動が良いのかなということと、テレワークもできるのですがなるべく出社することで気持ちを切り替え、帰宅後は仕事のことを考えないようにしているのがいいかなと思っています。最近はオンラインで各社のかたとしゃべっていても全体的に気持ちが弱っている印象なので、頭を整理してリフレッシュしながら仕事をやる必要を実感します。
みなさん、こんにちは!
相変わらず最近の私はテニスにハマッてまして、テニススクールにも2ヶ所掛け持ちで通っていて、お盆も暇さえあればテニスレッスンを受けに行っていました。
軟式テニスを中学・高校とやっていてひょんなことから昨年の12月にきっかけがあって硬式テニスを始めたわけですが、まだ硬式テニスは始めて一年に満たないので初心者クラスで頑張っています。ところで先日、ちょっと選択ミスをして自分よりレベルが高い人のクラスに参加してしまいました。うわー、私だけめちゃくちゃ下手だ、と恥ずかしくなりながら最後尾をついていっていました。その日、休憩しているときにコーチが声をかけてくれたので、「だいたいどれくらいで初心者レベルから脱却できますか?」と訊いたところ、「人によりますね。これまでの人生でどれだけ体を動かすことに時間を費やしてきたか。他のスポーツ経験でもいいんで遊びでどれだけ体を動かしてきたかによるかなあ」という返事でした。
なるほど。うすうす感じていましたが、初心者って相当適切な指導を受けない限り、もともとスポーツをしてなさそうな人が定期的にレッスンを受けてもそこそこ打てるようになるのは一年以上かかるなと思っていましたので納得の回答です。
もちろん単純に体を動かしたいという人はそれでいいのですが、私みたいにどうしても上達したいけど、そこまで身体をうまく使うことに長けてないような場合はそこに何かうまく成長に必要な要素を追加していく必要があると思います。私の場合、レッスンを受けて指摘されたことはノートに記録したり、自分がプライベートレッスンを受けているところを三脚を借りて動画で撮ってあとで確認したり、YouTubeで見た体の動きを鏡の前で何度も練習してみたりしています。加えて集合レッスンで自分がほかの人に比べてどういうことができないのかを実感したりすることも必要なことです。
プログラミングにしても、「遊びでプログラミングをやりこんだ」という経験がない人が大人になって上達したいと真に願うなら、もちろん一人でさまざまな手法を試すと同時に、コミュニティやオンライン講座などで自分のできるところできないところを第三者目線で知る作業はやったほうがいいと思います。
ちなみに私は10月にちょっとしたテニスの大会に出るので、コーチにはその旨を公言してレッスンをつけてもらっています。何を学ぶにしても遅いことはないですが、できれば明確な到達ポイントを設定しながら頑張るのが短期で集中的に頑張る秘訣ですね。
みなさん、こんにちは!
以前から気になっていた『遅いインターネット』という本を読みました。
なぜ気になっていたか。私自身がずっと取り組んでいる自身の集中力の問題について、多くの書籍でデジタル断捨離のような提案があります。しかし、私たちはもはやデジタル機器を完全に手放すこともできないし、SNSをやめることも難しい。そしてインターネットは「速い」ことが何よりもメリットですが、それに敢えて「遅い」という形容詞を付けてあるこの書籍がこのもやもやの解決案を何か提示してくれるかもと思ったからなのです。
書籍のタイトルに敬意を表して、一度目はさらっと、二度目はメモを取りながらじっくり読みました。なので、この本の感想を書くのは読み始めてから一ヶ月後となってしまいました。まさに「遅い」読書ですね。
正直、第三章の「共同幻想論」のあたりは理解できているか自信がないです。が、振り返れば、私が仕事を始めたころは消費が活発になり、物を買うことを謳歌する時代でした。その後、「モノ」から「コト」へ、という流れもかつてを俯瞰してみてよく理解できます。唐突に出てくる「共同幻想」という言葉ですが、それが今のネットの各種プラットフォームを考える際に役に立つ切り口を提示してくれます。Twitterなどが「共同幻想を利用して自己幻想を肥大させる」装置になっているという風につながっていくわけです。
筆者は、インターネットの「速さ」が人々を愚かにしている、と指摘します。確かに、脊髄反射的にネットに発信をすることで考えることを放棄している人は多いでしょう。
それで私、ふと思い出したんですが、私がIT業界に入った頃ってまだWindowシステムが普及していない時代でした。その後、Windowsが発表され、私たちは日常でどんどんとインターネットを活用するようになりました。それと同時に私たちのITの現場はWebブラウザ上で動くシステムの開発が激増しました。いわゆるWeb系の開発ってやつです。その当時、私はそれを(言葉は悪いですが)「Webのシステムばっかりやっているとアホになる」って部下の人に言ってたんですね。なぜかというと、それまでシステムというものは、データのストックや複雑な処理という人間が処理するとコストがかかるものを補助するために作られていたのです。それが、Webシステムのニーズが爆発的に増えると、多くのエンジニアは、ただ、「ブラウザで入力を受け付ける」→「データチェックしてしかるべき編集をする」→「DBに登録する」というオペレーションに対応した単純な処理をひたすら書くようになったんです。それを私は何となく「アホになる」っていう言い方してたんですよね。
もちろん、Webシステム以前・以後も変わらず複雑な処理に立ち向かっているエンジニアは多くいました。が、プログラマの多くが「複雑さ」を相手にするのではなく「速さ」を相手に仕事をするようになったのです。たとえば教育業のシステムなら、以前は紙媒体でテストの答案を送ってきたものをコンピュータで採点処理していた。それが、Web画面上で瞬時に採点するように変わっていったため、郵送にかかった時間や採点データを登録するのにかかった時間が短縮されました。
ですがコンピュータシステムは単純なものばかりではないので、重厚なシステムほど新しい環境への移植が遅れていくことになります。
話はそれましたが、そんなこともあり、著者が言う「愚かになる」という危機感はすごく良く分かります。
ではそれに立ち向かうにはどうしたら良いのか。著者は試みとして「書くこと」「読むこと」の足腰を鍛えるという場所をウェブマガジンの中に作ろうとしています。
私はまだ著者のかたのようにはっきりとした答えを持っていないのですが、ときどき考えるのは作家の村上春樹さんのような距離の取り方です。村上春樹さんは敢えてSNSなどでの発信から距離を置きつつ、時として読者と接点を持つような場をネット上に設けています。村上春樹さんの小説は、情報を遮断した静かな環境で書かれたと想像されるがゆえに魅力的なのです。
さて、インターネットはそのプロトコルの性質上「遅く」はできませんが、これからさまざまな形で、「必要な時と場合には時間をかけて物事に取り組める」ようなプラットフォームが「速さ」を売りにするプラットフォームに挑戦する時代になるのでしょうか。そして人が本来の賢さを取り戻すためにネットを活用する時代が来るでしょうか。