社長ブログ
株式会社アイネット
このたびは、株式会社アイネット会長、そして私の父である岩崎重治死去に際しましては御弔電、御焼香、またご多忙中の折葬儀に参列を賜り有難く感謝申し上げます。
故人の存命中は一方ならぬ御厚誼に預かりましたこと厚く御礼申し上げます。
昨年、父の誕生日である5月1日に誕生日のお祝いをと実家を訪ねたところ、癌宣告を受けたことを知らされました。膵臓から肝臓への転移ということで手術できない状況でしたので、在宅で抗がん剤治療に通っておりましたが、父は病気に詳しくなく、「手術をしない程度の軽い癌で良かった」とホッとしたように教えてくれ、年内にも治ると信じていたようです。
今年に入りまして、状況が少し悪くなり、何度目かの入院。その後、自宅に戻る希望を持ってリハビリをしておりましたが、容態が急変し、6月15日の午前7時に息を引き取りました。癌による痛みもなく、最後はほとんど苦しまず亡くなったこと、また、母と私が見守る前で息を引き取り、一人で逝かせずに済んだこと、せめてもの救いと思っています。
父の性格を一言で言うと、「激しい」の一言に尽きます。晩年は穏やかになりましたが、私自身は幼少のころから厳しく躾けられましたし、敵も多く作ったことと思います。
父は1938年、島根県安来に生まれ5人兄弟の長男として、大変苦労して育ったと聞いております。その後、苦労して高校を出た後、電電公社に入社。まだ日本で数台しか入っていなかった大型コンピュータに触れ、通信技術を学びました。その後、倉敷の地で小さな会社を立ち上げました。
一本気で不器用な父は決して経営が上手とは言えず、お金の苦労が絶えませんでしたが、私はそんな父の背中を見て育ち、そして、アイネットを継ぐことを決意しました。
父との最後の思い出は、2週間ほど前でしたか。アイネットは4年後に50周年を迎えます。その際は記念誌を作りたいので、生い立ちから会社の成り立ちまでを改めて聞かせて欲しい、と伝えたところ、幼少時の苦労、苦学して勉強したことなどを話してくれました。父親にまさかりを持って追いかけられ、妹や弟をかばった、など壮絶な話もございました。そして、「ある日、このままではいけないと思った出来事があった。それが転機だった」と言い、疲れたのか、「今日はここまでにしよう。続きは明日」と言われました。
それが、父がしっかりしていた時に話した最後の会話となります。
今でも、あの時の父の身に起こったこと、そして決意が何だったか。考えない日はありません。それはまたいつか、天国でゆっくりと聴いてみたいと思っています。
癌告知を受けてからは大好きなお酒をやめたので、今頃はあちらで美味しくお酒を呑んでいると思います。
最後になりますが、岩崎重治という大きな存在を失くした株式会社アイネットですが、故人の功績に恥じないよう努力してまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願いします。