社長ブログ
株式会社アイネット
みなさん、こんにちは!
知り合いの技術者のだいくしーさんがちょっと悩みというか、これからどうしていこうかなというような気持ちを正直に書いておられました⇩。
私自身もいろいろ思うところはあるのですが、他にもたくさんの方がアドバイスをされているでしょうから、ここはひとつ、同じように悩んで経験のある私が技術者としての師匠でもある夫に聞いた話も交えてエントリを書きたいと思います。
私の夫は、私が初めてIT業界に入った時の上司でした。当時は、まだWindowsはなくてMS-DOSの時代で、私が初めて学んだ言語はC言語でした。当時は夫は35歳。夫の経歴ですが、もともとは電気関係の仕事をしながら趣味のマイコンを触っており、あるとき仕事を休んで趣味のロッククライミングで一ヶ月オーストラリアに行った合間に『プログラミング言語C』(有名なK&Rの)を読んで帰国して、そのまま30歳でこの業界の門戸を叩き、いきなりプログラミングの仕事に就いたときに「この業界はチョロいな」と思ったそうです(笑)。
初出社で会社に行ったとき、床に寝袋で寝ていた夫がむくりと起き上がったのが忘れられません。古き時代のプログラマのイメージそのままでした。
当時、C言語は流行り始めでしたが、まだ多くの人は開発経験が少なく、今のようにインターネットなどない時代でしたので、当初は夫は社内をけん引してプログラミングをしていましたが、ある時から部長になり、コードはあまり書かなくなりました。昇進した当時は、机の上に足を上げて技術書をずっと読んでいました。それから何年かして、そのときにいた会社を辞め、再びプログラマに戻り、本来であればアイネットを継ぐ選択肢もあったのですがきっぱりと断り、今もまだ現役のプログラマを続けています。
さて、そんな夫に当時の「コードを書かなかった」時代についてちょっと訊いてみました。
(私)「一時期、部長になって、来る日も来る日も技術書ばかり読んでたじゃない?あれって、コードを書かないことでの不安はなかったの?」
(夫)「なかったなあ。あの時は過渡期だったからね。MicrosoftがGUIを発表したばかりで、それをちゃんと押さえようという気持ちが強かったから」
(私)「逆に自分が先んじて新しい技術を把握しておきたかった?」
(夫)「そうそう。そんな感じ」
そういえば、その後結婚してからも、夫は「この技術は押さえておこう」という技術は、分厚い言語の仕様本なども、毎日来る日も少しずつ読んでいた覚えがあります。また、大晦日に除夜の鐘を聴きながら趣味のコードを書きながら新年を迎える、ということをずっとやっていました。
さて、夫が経営などやりたくないといって逃げてしまった後のアイネットで、私は経営という事に携わりながら、社長でいつつ技術者を自称するのはとても難しいことを実感しています。むしろ、社長が技術者であると前面に出すのはよくない。私の軸足は経営に載っているべきであって、技術者に寄ってしまってはいけないと思っています。私がやるべきことは技術者的判断ではなくて経営判断だからです。一方で、技術者を理解するためにはどうしたらよいか。コードを書く量は圧倒的に職業的プログラマに比べて少なくても、こつこつと夫がやっていたように技術書を読み、部下の人よりコードが書けなくても、部下の人に訊きながらでもコードを書くことを理解し、寄り添い、自分より優れた技術者を輩出するための環境を整え続けることしかないと思っています。
そこに派手な成果はないかもしれないけれど、今でも私が技術の落後者として絶望せずにこの仕事に関わり続けられているのは、毎夜、分厚い技術書を、その技術の提供する哲学を理解するために読み続けていた夫をずっと見ていたからではないかと思っています。
結局のところ、夫はマネジメント職におさまるよりは、コードを書き続けることを選択した人だったということに尽きるかとは思いますが、悩める技術者の参考になればと思いこのエントリを書かせていただきました。